祖母からは女性の優しさ、と盲目の愛
祖父からは厳しさと両親から伝え聞いた祖父の知恵・哲学
俺にとっては祖父の哲学はしっかり役に立っている。
亡くなった父からはマジメさ(これはプラスとマイナスの側面の両方を含む)
父の結婚記念の金時計を俺の好奇心から分解してしまって元に戻せなくなり・・・・・・・・・・
でも、なぜか俺を怒らなかった父。(残念ながらその理由は聞きこそなった)
俺は勝手に、怒らなかった理由は俺の好奇心を考えてそれを尊重したんだろうと考えている。
母からは俺を産んだからこそ出てくるだろう無償の愛
母から買ってもらった本の数々。
母にねだって買ってもらった顕微鏡、天体望遠鏡。
まだ、存命なヤツがいるが、それは恥ずかしいから当人には言わないで置こうw
親戚からは血縁ゆえの優しさからの言葉がけ(素直に聞けば充分役に立つ)
地域社会からは地縁ゆえの仲間意識と笑顔
保育園の先生からも女性の優しさを貰ったし、小学生時代の低学年の時は女性のやさしさと母と勘違いしてくれたんだろう愛
小学校中学年になってからは女性の厳しさのある愛
ここまでを総括すると、年上の女性のやさしさと上手な甘え方は学んだような気がする。
高学年になってからはオトナのいやらしさを感じて、おかげで俺に別の目線が芽生えるキッカケになった。
中学生になってからは、初めて立派な男の先生に出会った。
男の先生もステキな人がいるんだーーーーっと思った初めての経験w。
ここまでを総括すると”男とはこうあるべき!”ってことを考えたキッカケに。
クラブでは俺からすると不当な嫌がらせと感じるいじめにあったこと。
理由は俺が商人の家に生まれてきたことに起因している。
原因となったのは非常にくだらないことで、「お買い得商品」の正札のついた野球のグラブを買ってそれを安く買えたんだぜーと自慢したこと。
馬鹿にされる意味がその当時はあまり理解出来なかった。
商人ってのは利ざやを稼ぐのを生業としている。
これだけ聞くとなんだ?と思われるだろうが、今でこそ流通が発達して産直ってことばが普通と思っているだろうが、それなりの役割はあったのだろうと考えている。
関東人と関西人の価値観の差を理解できたのはかなり後の話で、俺の感覚は関西人だったのかもね。
ここまでを総括すると世の中には俺の納得出来ない状況が存在するってことを学んだ。
高校生の頃、感じたことは上には上がいる!ってことに打ちのめされた。
俺がバカな証拠だ。
大学生の頃感じたこと。
その頃、俺は背伸びがしたかったんだろうと感じる。
ネクタイ締めて大学に通い、同年輩、先輩からからかわれた。
理由は自由な大学生なのになぜにサラリーマンみたいな格好をするのか。ってこと
まぁ、結局サラリーマンみたいな変な自動車部の1年だが、車の整備技術の講師役に任ぜられてバカにされっぱなしにはならなかったけどねー。
特に何でなのかは判らないんだが親元から離れて過ごした大学生活は勉強はろくにしなかった。
しかし、今の人生の基礎となる、いろんなことを学べたのは事実。
ここで自由を学んで。。。。。
俺は哲学は学業として大学の一般教養で一部、それもホンの一部しか学んだことはない。
でも学生生活を続ける間に俺の哲学を進化させたと考えている。
その間に人生論とか哲学書とか読みあさったね。
でも!笑われるのを承知で告白しようかーーーw
キッカケはナンパだ。
へ?と思うだろうが、年上の女性は得意だが・・・・ぇw。
同年代の女性は苦手だったわけだ。
ぶきっちょであることは俺も知っていたのでナントカしたいと考えた。
ナンパを上手く成就させるために、アホな俺は書店で知識を得ようと短絡思考で以下に紹介する本を買ったぞorz。
見栄講座―ミーハーのための その戦略と展開
これを熟読して(熟読したアフォがここにいるw)疑問に思ってねー。。。。
ここから話すのも恥ずかしい?ノウハウ本をいっぱい読んで・・・・
俺が生きて学んで来たものと違うことが書かれていた。
疑問に思うと、それを放置することが出来ないヤツが俺で。。。。
そこから女性学、心理学、人生学、人生哲学、哲学と波及して本を読み漁ることになった。
元々、こんなのは俺の学部の学ぶべき物じゃないはずなんだが、自学自習そして、思いを巡らせて、学業そっちのけで学び始めた。
知識や知恵の繋がり、前にも話したが、点の知識では役に立たない。
点と点を結び、線の知識にして、線と線の繋がりを考えて面の知識、咀嚼して立体の知識になって初めて自分の知識と成りうることを学んだ。
俺ってアフォだろー。俺自身そう思うもん。
学生時代にバイトもやっていた。
バイトでの最大の収穫は人の上下。
「天は人の上に・・・」とか言う福沢諭吉の話とちゃうでーー。
人格の上下かな。。。
それを見る力はついた。
人格・・・これは説明するのが難しい。
卑近な言葉で表すと、尊敬できるかどうかってことになると思う。
人に尊敬される人ってのは、それなりの知識と知恵と人格を備えている。
知識・知恵だけの人は底が浅い人で、人格もそれなりに備えている必要がある。
人格ばかり追求するとお固いヤツになってしまうので、それも避けたい。
人格だけだとやはりその人格をうまく体現出来ないでおわる。
知識と知恵と人格と人としての可愛らしさ?が有ればほぼ完璧????
このお題はまた機会があったら話したい事柄だね。
まぁ、そんなこんなで今の俺がある。
つまり、どこにでも勉強する機会はあるんだ。
それをどう捉えて生きていくかはあなたの心持ち次第。
頭に来て一生恨んで過ごす奴も居るし、それをテコに別の視点を発見する人もいる。
その恨みをテコに学問に精進するもの、仕事に精進する者もいる。
人間性を磨き輝く人もいる。
要はあなた次第だ!ってこと。
無駄なものは殆どない!ってこと。
あなたの心の気構え次第でプラスに転化することが充分出来るってこと。
言っておくが俺の発言は宗教観とか、あるいはどこかのプラス思考だらけのナポ◯◯◯・ヒルなどのイカサマ思考には全く関係ないぞ。
今まで生きてきて、俺が感じた実感を皆さんに伝えているだけ。
かと言って全ての人に感謝するほどお人好しではないが、ほぼ、全ての俺と出会った人に感謝。
これらすべての環境が俺を支えてくれていることに感謝!。
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